アジア、アメリカ、南米、オセアニア……。ビジネスで世界15か国以上を行き来し、活躍の場を広げてきたドン・ウッドさんと岸本望さんご夫妻。
2011年、ウッドさんが仕事の第一線を退いたことを機に、札幌で“終の棲家”を建てることを決心。このときの家づくりのパートナーが、HOPでした。冬の間は温暖なハワイで過ごし、春から秋までは季節ごとの表情が美しい札幌で過ごすという、誰もがあこがれるようなライフスタイルを実現しています。
今回は、「毎日が充実感に満ちている」と笑顔で答える奥さまの望さんに、家づくりや住まい方についてのこだわりや、暮らしの中で見つけたささやかな楽しみなど、お二人の“生き方の流儀”をうかがいました。
偶然が重なって手に入った、ハワイのマイホーム
抜けるような青空の下。それと同じくらい青い海を眺めながら、静かな波音をBGMに、ゆっくり体を休めたい……。好きなゴルフもエンジョイしたいと、二人がハワイ島を訪れたのは2011年春のこと。2年に及ぶオーストラリア勤務を終え、日本に帰る途中のことでした。島の西海岸に位置するコナという街は、オアフ島のような華やかな観光地ではないけれど、有名なコーヒーの農園や史跡などがたくさんある、のどかなところ。カメハメハ大王が晩年を過ごしたことでも知られ、宮殿や教会、歴史公園などもあって、古き良き時代のハワイといった雰囲気の場所です。二人がここに数日滞在し、心と体を開放しているうちに、ハワイに永住したくなったとしても不思議ではありません。そんなときに偶然現れたのが、自分のコンドミニアムを手放しても良いといってくれる日本人オーナー。
この建物のテラスから見る景色の素晴らしさに心を奪われたといいます。言葉に表せないほど美しい夕日を前に、このとき二人はこう考えました。「過ごしやすい5月から10月末までは札幌にいて、寒い季節はここでのんびり暮らせたら……」。3年前、奥さまの故郷札幌に永住しようと決めていたものの、やはり、長い冬の寒さが心に引っかかっていたのでしょう。また、冬でも半袖で暮らせるハワイの温暖な気候にあこがれがあったのかもしれません。偶然立ち寄った休暇先で、リタイア後のイメージが実現に向けて動き出した瞬間でした。
その年の11月。二人は悠々自適な生活を満喫するために、再びハワイへ。購入したコンドミニアムは自分たちが使いやすいように手を入れ、増改築も済ませていました。「ハワイの家は室内にエアコンを取りつけていません。あるのは天井ファンだけ。でも自然の風を回すだけでも気持ちがいいので、冷房の必要性はとくに感じないんです」と、おだやかな笑顔。「前任地のメルボルンは南半球ですから、どこへ行くにも遠いでしょ。それに訪ねて来てくれる人もほんのわずか。でもハワイは違います。気の置けない友人や家族を招くにも、ちょうどいいポジションなんですよ」。
ハワイにいる半年間は、週に3〜4回は近くのゴルフ場へ。気が向けば街に出て、地元の作家が創った焼き物、オブジェや絵画などを買い求めるとか。それらを手持ちのアジア家具にコーディネートして、自分たちらしいリゾート空間に仕上げていくことも楽しみのひとつだそうです。インテリアに関しては二人ともこだわりがあるので、かなり時間をかけて意見やアイデアを出し合います。そのやりとりはとても真剣なので、ちょっと可笑しいくらい(笑)。でもそうやって、家の中を自分たち流にできるのは、“仮暮らし”じゃない我が家ならではの醍醐味ですね。
世界中を飛び回っているときに、
思っていたこと
アメリカ・インディアナ州生まれのご主人ウッドさんと、札幌生まれ札幌育ちの奥さま望さん。二人は全く接点がないように思えますが、初めて会ったのはスポーツ用品の総合メーカー、ナイキの東京オフィスだったそうです。望さんは20歳の時、興味のある英語を勉強したくてアメリカの大学へ入学。卒業後、ナイキの東京本社に入社。ナイキといえば世界中にマーケットを広げるトップブランドですが、望さんにとってそこは、水を得た魚のようにイキイキできる場所だったよう。「自分たちで毎年トレンドを作りだし、それが直接数字になる商品企画の仕事は、楽しくて仕方ありませんでした」。
数年後、ナイキ香港支社に転勤したとき、ビジネスマネジメントの職に就いていたのが現在のパートナー、ドン・ウッドさんでした。しかし彼はほどなくして、ディズニーにヘッドハンティングされ、勤務先である東京へと赴きました。香港と東京。距離こそ離れていたものの、時差で約1時間。お互いにそれほど遠いとは感じていなかったといいます。
ところが2004年ごろ、ウッドさんが今度はアメリカへ転勤することに。香港とアメリカでは距離も時差もありすぎ、電話さえままなりません。ウッドさんは望さんを熱心に説得し、ロサンゼルスに来てほしいときれいな写真集を何冊も送ったそうです。心を動かされた望さんは仕事を辞め、アメリカへ移住することを決意。ウッドさんと2008年に結婚し、再び舞い戻った東京で新婚生活をスタートさせました。考えてみると、ウッドさんも望さんも世界各地をあちこち飛び回るような生活ばかり。「私たちはひとつところに留まって、落ち着いて暮らしたことがありません。結婚してさえ、毎日が渡り鳥のような借りモノの生活でした」。だからこそ、早くそこから脱却したいと思ったそうです。
導かれるように決意した、故郷札幌での暮らし
東京での暮らしにも慣れたころ、二人はいつしかリタイア後の“終の棲家”をどこにしようかという問題に直面しました。ご主人は幸い、日本の伝統文化や風習に理解が深かったので、日本で暮らすことに賛成。真っ先に候補に挙がったのが、奥さまが少女時代を過ごした、故郷札幌でした。家族との絆や思い出を柱の一本一本に刻みこんだ、懐かしいあの家。築55年といいますから、建物はかなり老朽化していたものの、祖父母が大切にしていた庭はそのまま残されていました。現在も望さんのご両親や兄弟がいらっしゃる札幌は、心安らぐ場所でもありました。
20歳で実家を離れて以来、ほとんど帰省することがなかった札幌。それでも、祖父母や両親が生活を営み、長い歴史や思い出を刻んできたその場所は、奥さまにとって特別思い入れの深い土地。街並みがきれいで風景も美しい。春から秋にかけての爽やかな気候も、ご主人は気に入ってくれました。そして、食べ物のおいしさや人づきあいの良さも。これらを総合的に判断し二人が出した結論が、 “札幌”だったのです。それはきっと、「幸福な運命の定めだったのかもしれません」。
HOPとの出会いもまた、運命のように
札幌に家を建てると決めましたが、家づくりをどうしたらいいか、何から始めればいいのか最初は見当がつきませんでした。このときの生活基盤が東京でしたから、何をするにも不安。もし、札幌のハウスメーカーに依頼したとしても、打ち合わせの中心はやはり札幌。「その度に東京・札幌を往復するのは、大変な時間とエネルギーが要るので、何とかいい手段はないかしらと探していたんです」。そのとき知ったのが、札幌が本社であるHOPの存在でした。HOPであれば横浜にもオフィスがあるので、それも安心材料だったといいます。
行動力のある奥さまは早速、横浜にあるHOPの事務所へ。そのときに感じたナチュラルな空気感やあたたかな雰囲気に、「あ、ここだ!という直感というか、ひらめきがあったんです」。HOPが国産材を活用して家や家具などを造り上げているだけでなく、北海道のモノや人とのつながりをとても大切にしている建築会社だと知りました。このときにいろいろな話を担当の関さんから聞きながら、自分たちの頭の中にあった曖昧なイメージがすっきりと整理され、きちんとしたカタチになっていくのがわかったといいます。奥さまはおだやかな表情で、お話を続けます。「HOP代表で建築家の石出和博さんが、建物のハードからソフトまで一貫したポリシーを持っていることや、知識の豊富さに感心させられました。私たちが漠然と思い描いたイメージを、的確に形にしてくれる。そのスピードと気配り。それらに、いつのまにか惹かれていたのですね。広大な砂漠でオアシスを見つけたような、幸運な出会いだったと感じています」。
2008年8月。話がとんとん拍子に進み、“いよいよ実設計に入る”というタイミングのとき、運悪く、ウッドさんにオーストラリア転勤の辞令が出たのです。しかも出発は3ヶ月後。当然、新築にかける時間など取れるはずもありません。引っ越し荷物を慌ただしくまとめ、メルボルンへと向かう機上で「日本に戻って来たときは、必ずまたHOPを訪ねよう。そして、札幌に我が家を建てよう」と、心の中で固く誓ったそうです。
止まったままだった夢が、再び動き出すまで
2011年の春。ハワイでの休暇を終え、再び日本へ戻った二人の元に、HOPの関さんから1枚のハガキが届きました。それは、新たに札幌に建てられたコンセプトハウスのご案内でした。3年前、転勤のために中断してしまった札幌のマイホームに対する思い入れや夢が、ずっと気になっており、早速HOPを訪ねることにしたのです。「そのコンセプトハウスは、気持ちのいいほどすっきりとした開放感がありました。時間がゆったり流れるような独特な雰囲気に、一度で目を奪われたのです」。庭と室内をつなぐ濡れ縁風のテラス、丁寧な手仕事が施された建具、木目の美しい造作家具、木の質感が趣を演出する畳の間。その一つひとつが、奥さまの遠い記憶を呼び覚ましたのかもしれません。「昔住んでいた札幌の家とどこか重なって、そのコンセプトハウスごと移築したいほど、理想にぴったりだった」といいます。これがきっかけとなり、札幌の住まいづくりを再スタート。止まったままだった夢が、また静かに動き出したのです。
新居についてのご夫妻の基本イメージは、“自然の風や光を存分に採り込める家”。また、客間を兼ねた和室と主寝室以外、すべてオープンな造りにしたい。さらに古い家に残っていた、手の込んだ工芸品のような欄間や、祖父母が手塩にかけた庭の石や樹木を、できるだけ活かしたいという希望がありました。HOPではそれらを聞き届けた上で、パッシブハウスの仕様を提案。これは環境先進国のドイツで考えられた、高性能な省エネ住宅のこと。断熱性や気密性、換気性能をアップさせることによって、環境にはもちろん、住む人にとってもメリットが大きいので、ナチュラル志向のお二人に最適だと考えたからです。約2ヶ月で設計図が完成。その図面には、家づくりに対するご夫婦の熱い思いがしっかり落とし込まれていました。
ささやかな日常を一つひとつ積み重ねてゆく幸せ
「わあ、うれしい!」。春を迎えハワイのご自宅から、札幌のもうひとつの“我が家”の工事状況を確認するために訪れた2人は、驚きの声をあげました。工事が予想外に早く進んでいたからです。8月には待望の“札幌の我が家”が完成。足かけ4年の、長い夢の到達点でした。
引っ越し荷物はすべて、預かってもらっていたオーストラリアから届くので大変だったとか。それでも、仮暮らしではない自分たちのマイホームを前にしたら、疲れなど感じなかったそうです。新居には、骨とうや古民具、アート、古裂、アジア家具などが、まるであつらえたかのようにきっちり収まっています。それはどれも、ご夫妻が半世紀近く世界中を見て回って、自分達の審美眼で選んだものばかり。引っ越し荷物が片付いたころ、HOPの石出代表がご挨拶にうかがったとき、見事なインテリアの数々と芸術や美術についての造詣の深さに感服したそうです。
「今は、長い時間をかけて二人で集めたジグソーパズルのピースが、マイホームというひとつのフレームの中にきれいにはまったような心地よさを感じています。これまでとは違う、夢のような生活を楽しんでいます」。
物心ついたころから渡り鳥のように暮らしてきたというウッドさん。今の生活をとても新鮮に感じるそうです。「たとえば、昔から私を可愛がってくれたご近所の方から家庭菜園の野菜をいただくとか、私の実家へ遊びに行って一緒に食事をすることもしょっちゅう。気が向けば近所の焼き鳥屋さんへ揃って出かけることもありますよ」。そんなささやかな日常を少しずつ積み重ねながら、年を重ねる。それは時間がたつほど味わいを増す、古い家具や骨とう品と同じなのかもしれません。
奥さまはにこやかに、こう締めくくってくれました。「これからは今まで離れて暮らしていた大切な家族のそばで、大好きな人やモノたちに囲まれながら、その幸福感に浸っていたいのです。私たちにとって家づくりとは、暮らしをより豊かに育んでくれる土づくりみたいなもの。だから楽しみの種をいっぱい蒔いて、二人で大きく育てていこうと思っています」。