家はそこに住まう人、暮らす人の器です。そこにどんな感情や情熱を注ぎ込むかで、大きく変化する大切なもの。それは単に、空間としての広がりや機能性、見映えのデザインといったことばかりでなく、住まう人の感性やこだわり、好み、個性、家族とのつながりといった要素以外に、美意識、価値観、さらにいえば生き様までも表現できるものです。HOPでは常々、「家づくりは人生最大の遊びである」と提唱してきました。その考えとオーナーの希望が見事に合致したのが、ここにご紹介するI邸です。その上質な器の隅々には、ご夫婦それぞれの感性とこだわりがあますことなく表現されています。
施主の思いを感じ取り、目に見える形に仕上げていく
家は、そこに住まう家族の思いによってできあがります。また、その人独自の主張や考え、見識に基づく意見なども大切な要素になってきます。Iさんご夫妻は、それぞれに「家」に対する深いこだわりをお持ちでした。道東の中核都市で歯科クリニックを営むご主人と、それをサポートする奥様との二人暮らし。多忙なご夫妻にとって家とは、日常の煩わしさから解放され、好きな趣味に没頭したり自由な時間を楽しんだり、明日への英気を養う安らぎの場所。その一生のわが家を手にするためには、何かに導かれるような出会いが必要なのかもしれません。
建築をHOPに依頼することになったいきさつ。それは、同市内に住むコーディネータの松田恵美子さんが、Iさんの家に対するこだわりや理想を知り、それならばHOPに頼んでみたらいいと薦めてくれたことがきっかけでした。Iさんの歯科クリニックを建ててくれたときの建築会社はすでになく、地元の建築会社に対する信頼や対応力に、不安を抱えていたことも、HOPと巡り合わせてくれた一因になったのかもしれません。家に対して思い描いていたものを具現化するには、さまざまな情報を組みあわせて、整理する必要があります。しかし家に対する漠然としたイメージを表し伝えることは簡単でありません。HOPではその思いを感じ取り、Iさんの予想を上回るアイデアや提案を盛り込み、目に見える形にしていきました。
奥様が出会ったシャビーシックというスタイル
何も形のない「無」から「有」をつくりだす創造的な作業では、なにより根気と熱意が必要です。時間も膨大にかかります。それが家づくりでは特に顕著ですが、完成へと辿り着く近道は依頼する側と作り手の“温度”や“感覚”を同じに保つこと。その際に重要なのが、施主が抱いている全体的なイメージをうまく引き出すことです。Iさんの奥様と初めて打ち合わせをさせていただいたときに出てきたキーワードが、“シャビーシック”でした。あまり聞き慣れない言葉ですが、最近とくに女性に人気のあるインテリアスタイルのひとつ。イギリス人デザイナーのレイチェル・アシュウェルが30年ほど前から提唱しはじめました。「シャビーshabby」とは、使いこまれた、古めかしいといった意味合いで、風合いのあるアンティーク家具や装飾品、雑貨などが当てはまります。これに上品な花柄やフリルのファブリックなど、エレガントな素材を融合させたものをシャビーシックと呼んでいます。
おしゃれでかわいいけれど、大人の女性らしい優雅さを持つシャビーシックの世界観。それはこれからも美しく年を重ねていきたい女性の生き方にも通じるようです。今回I邸の設計デザインを担当したHOP設計の渡瀬部長は、これまでにシャビーシックを扱った経験がなかったので、そのイメージを掴み取るのにかなりの時間を費やしたといいます。奥様はこのスタイルをHOPに伝えるために、何度も東京に足を運んでくださったとか。そうして幾度となく打ち合わせを重ねたおかげで、Iさんが求める理想に大きく近づけることができました。
2つの異なる個性が向かい合うとき
どちらかといえば奥様は、ご自分の感性で物事を捉える方。いわば芸術家肌です。無機質なコンクリートやステンレス、石などとは違う、温かみのあるテイストをインテリアや内装にプラスしていくのがお好みです。一方、ご主人は理系らしい思考が得意なようで、削ぎ落とされた機能美がお好きな技術者タイプ。趣味であるクルマをいつもそばに置いておきたいというこだわりがありました。聞けば、空いた時間を見つけては3台所有しているクルマをメンテナンスするのが何よりの楽しみだとか。中庭からも出入りできる車庫には工具一式を揃え、ガレージリフトを利用してクルマを整備するほか、ときにはサーキット走行会にも参加するほどのクルマ好きだと伺いました。
このように、異なる個性で結びついたお二人が、どちらも心からくつろげる空間とはどういうものか。デザイナーと話し合いを深めつつ、お二人の家に対する夢や理想を語り合った結果、できあがったのがこのI邸です。異なるものをそのまま両立させるのではなく、どんな優雅さを尊重して、何を削ぎ落としていけば互いに納得する最終形へとたどり着くのかを突きつめて、それを核にデザインを構築していきました。
個性を主張にまで高めた設計デザイン
I邸の顔ともいえる外観。お二人の意見が一致して、黒を基調にした外壁にシンプルな片流れ屋根の形状を採用しました。エントランスまでの石積みにしたアプローチとシンボルツリーが、しゃれたアクセントになっています。室内に足を踏み入れると目に飛び込むのは、ひときわ開放感に満ちたリビング。中庭に向け、3.5mの高さを確保したガラス窓からは陽ざしがたっぷり注ぎこみます。吹き抜けになった天井からぶらさげた照明、宙に浮くようにしつらえたアイアン製の階段、天窓を設けた離れ感覚の和室などとは対照的に、ダイニングやキッチン、ロフト風に仕上げた寝室と、その奥に続くウォークインクロゼットなど、奥様がこだわったシャビーシックスタイルが、とても効果的に取り入れられています。ナチュラルな風合いと落ち着いた色を基本にした家具や調度品、あるいは電気スタンドや照明器具、花活け、壁掛け、クッション、レースのカーテン、ベッドのリネン、インテリア小物や雑貨に至るまで、素材やテイストを吟味してこだわっていることがうかがえます。とくに入り口をピンクで縁取ったウォークインクロゼットはひときわ印象的。まるでブティックのような趣を醸す、女性らしい雰囲気いっぱいの空間となりました。
手を携え、人生を歩んでいく歓びに満ちた住まい
それぞれの個性や感覚、家という場所への思い。ご夫婦として歩んでいく人生を思い描きながらも、異なるスタイルへのこだわりを諦めることなく、むしろ触発しながら融合させる手法を探る。I邸は、そんな試みを繰り返すなかで造り上げられました。
リビングで過ごす、寛ぎの時。和室で向き合う、少し改まったシーン。ダイニングには、気のおけない友人が来訪し、賑やかな時間が流れることもあるでしょう。クローゼットで、ガレージで、自分だけの世界に浸れば、逆にお互いへの深い思いに気づくかもしれません。
そこで目覚め、語らい、さまざまな感情を表現しながら、そのたびに絆を深めていく。家はただ生活する器というだけでなく、手を携えて生きていくための役割を果たすことを、I邸は鮮明なデザインで教えてくれているようです。